この舞台では、
ほんまに1日に起きたこと?と驚く、ハードな内容の論争が繰り広げられる、とある家族の、朝から夜までの日常が描かれていました。
夜に至るまでに、「旅路」と称したくなるほど長く感じてしまうほどの億劫さであったり、
また、人生という長い時間軸において、
「夜(=終着点=死)への長い道のり」という喩えなど、タイトルに含意されているのかなぁと感じました。
白い大きな布が天井から吊るされて、シーンによって照明が変わったり、纏まったり広がったりして形を変えながら、一家に立ち込める暗雲だったり、大海原だったりと、各シーンに合わせた形状にして、雰囲気を変えていました。
同じ家の中のセットで、シンプルに、家族のメンバーの会話だけで最初から最後まで構成されているのだけれど、畳み掛けてくる対話の熱量に圧倒され、かつ、彼らがあまりにハードモード人生すぎて抱えている痛みに100%の共感はできないものの、どこか自分の生活の中と共有できる部分もあり…と、発生する感情に、抑揚がうまれる舞台でした。
家族フル動員でメンタルを拗らせていて、自分以外の人を否定することで自分の精神を保つイタイ部分がある反面、どこか愛が潜んでいて。
100%の憎しみから発せられている言葉ばかりというわけではなく、
心を病んでいる背景にやむを得ない不遇さを抱えており、どんなに暴言を吐き悪態をついても、憎みきれないというか。
本当はそれぞれに対して愛情も抱えていそうなのに、伝えきれずにいる人たち。
【親の愛の欠如】が、一連の悲劇の根幹にある。(欠如もしくは、伝達不足が起因。)
負のスパイラルはどの時代にも起こりうると共感しながらも、やはりこのタイローンファミリーの捻れ方はレベチでした。
もっと素直かつ円滑にコミュニケーションが図れさえすれば、ここまでボタンが掛け違うこともないだろうに…と、同情さえしてしまう、憎めない不器用なタイローンさん家のみなさま。
それでは、本編について、思うところを少しばかり書き留めてみます。
・椅子をおしながら入場し、立ち位置につく我らが大倉忠義さん。
(開始数秒で好きが爆発)
アル中の役に浸るべく体型を調整したのも相まって、闇を潜ませた大倉さんは、ジェイミー・タイローン氏でした。
監獄にぶちこまれた政治犯でもなかったです。
長瀬智也氏が舞台観劇中に叫んで、松岡さんに出禁にされた時のごとく、心の中では「よっ!待ってました!」を唱えてました。
・「一杯くらい飲んでいいよね?」とかわいく甘える弟・エドマンドに、飲んだ分だけ水で薄めよう!と助言する、ジェイミーヒョンニム。
女中さんが薄めた時はバレてパパおこだったのに、兄弟が薄めた時はうまいことやりすごして、些細なところで要領いいタイローン兄弟シンメ好きやで?←
・ママが2階に行く=モルヒネ打ち込んでる
と、また薬を打っているのではないか疑っているとママに勘違いされ、警戒された上に拒絶されるジェイミー。
幼少期、麻疹にかかり、当時赤ちゃんだったユージン(弟)にうつしてしまい、死なせてしまった。その上、そのストレスが原因で薬中になってしまった母親。ゆえに、嫌われ非難されることとなる。
構って欲しくてわざと麻疹をうつしたと思われていて、反論しても母親には受理されない。
毒親にねじ伏せられるジェイミー。
発した言葉が意味をなさず死んでいくなら、抵抗する気力を失わざるをえない。
・家族から疑いの目でみられているとき、責められていると思い込んでいるとき、言葉に詰まって追い詰められたとき等に、繰り返し「髪の毛が乱れているかしら?」と聞き返す癖のあるメアリーママ。
=みんなが気にしてるのは私の髪の毛よね?私のこと責めたりしてないわよね?
と自分に言い聞かせるかのように、ナーバスな声色と表情を浮かべる大竹しのぶソンベニムがさすがの演技力でした。
見せ場のシーンは勿論の迫力なのですが、こういった日常を切り取ったシーンでも生々しさが如実に現れておりました(敬礼)
・ベッドに座り込み、たばこ(パイプ)をふかすジェイミー。吸わないとやってられない感が滲み出てた。
不服そうな、悲しそうな、やり場のない葛藤を抱えて悶々としてるジェイミーの表情が最高によかった(好きです←)
・自身の父も結核で亡くなり、その上エドマンドも結核だと知ると、母はますます病むだろうと懸念する父と兄。
パパと、弟の病気について、ママにバレないようにひそひそ話をするジェイミー。
ママが2階から降りてくるからと「しーーッッッ!!!」って言いながらジタバタする。
…こんなかわいい「しーッッ」存在する?否、しない(反語)と動揺し、一時的に話に集中できなくなりました。
・「大きな赤ちゃん。」とママに呼ばれるジェイミー。
エドマンドに対する「かわいい赤ちゃん♡(よしよし)」のニュアンスとは違う。
身体は大きくなってもいつまで経っても赤子レベルで手のかかる出来損ないだ。ぐらいの意味合いを感じた。
「あの子のことそんなに攻めないであげてね。」とパパに対して伝えるママ。
…パパからのdisり以上に、主にママからの拭われることのない蔑視に対してストレス受けてますよ?と、ジェイミー保護欲求が押し寄せた。藤井隆ならホットダンス踊ってる。
・1幕までは、お互いに機嫌をとりながら様子を伺っていたのに対し、2幕からは、母ー弟、父ー弟、兄ー弟の順で、本音を吐露していく緩急。
いやなんぼ極端??伝えるなら少しはオブラートに包もか??と言いたくなるような、救いようのない本音のぶつけ合い合戦が執り行われるわけですが、そんな中でも根底には家族への愛が一応存在していて。
みんな屈折してるから複雑に絡み合っているんですが、精神状態が少しでも穏やかになり、正常なコミュ力で接することができたら紐解けていけるのかな…と、他人の家族ながら案じました。
・父と話す過程で、
うつ病を患って死にたかった時、船に乗って海を感じたとき、自然そのものに抱かれ、包み込まれている安堵感を得たと語るエドマンドが印象的でした。地球に規模で見た時に自分はちっぽけな存在だし、自分の悩みそのものもちっぽけに思えたんでしょうか。
なんにせよ海に救われて、生きることを選んでくれてよかった(泣)
細くて儚くて、スッと消えていきそうなんだもん…誰か彼のメンタルもケアしてやっておくれよ!
エドマンドが海の話をしているとき、舞台上部の布が穏やかに揺れ、青いライトがあたり、波を演出し、海の中にいるかのような雰囲気になっていたのも美しかったです。
水の呼吸 拾壱ノ型・凪。
・娼館からヘベレケで帰ってくるジェイミーヒョン。
自分の脱いだ服に引っかかってこけそうになってたのはジェイミーではなくて忠義さんでした(好きです ※再)
あと、えんじ色のベストにハット、かわいすぎな??
ステフォ購入させてください(関係各位)
・ジェイミー「さっきまで誰といたと思う?デ●ブのヴァイオレットだぜ?www」
エドマンド「wwwwうそだろ、あいつ1トンはあるぜ?www」
ジェイミー「なにも手をだしてないぜ?www飲んだくれだがピアノを弾けるから雇われてるらしい。…仕方なくあいつを選んだが信じてくれないから、太ってる女が好きだと伝えたらどうにか信じたよ。まぁ太ってる女が好きなのは嘘じゃないが(笑)それから2人で2階にあがり、彼女の鬱の話を聞いてやって、一緒に過ごしたってわけだよ。最終的には帰り際ふたりで泣き、ふたりで抱きあったよ。」
…え、絶対手ぇだしたよね??←
(話聞くだけでは、最後抱き合うほどに懐柔できないよね?とか思ってしまってごめんなさい。)
いやほんで、マンネ、「あいつ1トンあるぜ?」はシンプル悪口!!!!かわいい顔した赤ちゃんが急にとんでもない暴言はいて、思わず吹きそうになったわwww
1トン(仮)の女の悩みを聞き、鬱を晴らしてやって、そして優しく抱いた俺、すごない?(ドヤ)てきな???
承認欲求の解消の仕方しんど…笑
こんなもん聞かされるエドマンドマンネの気持ち考えてやれよ。
おまえは飲んだらアカンーーーーと発狂しながら飲酒を止めにとんでくるかわいいヒョンニム。
「おまえは死なせないよ!あいつはヤブ医者だ。俺に酒をやめないと死ぬと伝えたが、みてみろよ、俺はこの通りピンピンしてる!」
と弟を鼓舞するホワイト・ジェイミーに対し、[失敗しろ〜不幸になれ〜おまえだけ幸せになるな共に堕ちよう〜]と、ブラック・ジェイミーも脳裏にちらつき、葛藤する。
"自分の代わりに弟には大成をなしてほしい。
弟の成功=育てた自分の手柄、やっとママによしよししてもらえる。
幼少期に図らずも弟を死なせてしまったがゆえに母親から烙印を押された自分を払拭したい。
でも、そうなるとまた出来損ないの自分だけ取り残されてしまう。
誰にも愛されない。寂しい辛い。だれか僕を認めて。"
親から真っ当な愛情を受けずに生きてきた彼の、行き場のない、消化しようのないおもい。
誰かの、なにかのせいにしないと自分を保てない、限界の精神状態。
…なんだか居た堪れなくなって、胸が締め付けられました。
だれか、彼女じゃなくとも、せめてまともな友達1人2人そばに居てあげて、ケアしてあげてくれよ(泣)
…でも、精神限界だと、人の話に聞く耳持てないだろうし、周囲の助言とか受理しないんだろうな…と、ふと落ちました。
周りに耳を貸せるほどの精神状態になってほしいな、と切に願いたくなる。
・大病を患う弟に、電気をつけることさえケチる父親が、1ドルで診てくれるヤブ医者を紹介してくるなど、質ではなく安価な治療をさせたがっていると伝える。
「あいつが、[思うようにしろ]と委ねる時はおおよそ、そうしろということだ。安い療養所に行かせたがってるってことなんだよ!!」
弟を絶望させたい反面、現実をつきつけて傷ついてもいいから、父親の思い通りにさせず、治してやりたいという気持ちも先行していると捉えました。
・「おまえは俺が育てたといっても過言ではない。おまえは俺のフランケンシュタインなんだよっ!!!」
…いやガチdisにもほどあるだろ。
ジェイミーたん、それ言うたあと正気に戻ったらどうせ凹んでしまって「ごめんよエドマンド、愛してるんだよ…」の無限ループするんだから自重しよか??と、私の心の中のオンマがジェイミーをなだめていました。
自分の中の二面性と対峙しながら、弟への屈折した愛情表現を続けるジェイミー。
・「詩を教えたのも俺。女を教えたのも俺、溺れないように。
女のいない人生なんて空っぽだ!!抜け殻と同じだ!!」
娼館→身体の関係→愛
だと認識していて、抱くこと=愛 を感じると、ガチのテンションで弟を説き伏せる兄ジェイミーが切なかった。
恋愛を経て…というわけでもなく、娼婦さんとの金銭契約に基づく身体の関係が、ジェイミーの愛情不足を補う大きな要因となっていて。
性的欲求で満たすか、アルコールに依存して寂しさを紛らわせるか。この2局でしか自分を保てないって、ほんと精神的に極限ですよね。
・ぽろぽろとピアノを弾くジェイミー。
かと思えば弾き終わって突然ピアノの蓋をバーーン!としめて弟に向かって叫びだす。
#安定の不安定メンタル
#まさに心はローリングコースター
(…ピアノを弾く大倉くんいつぶり?ソロコン?なんにせよ絵が最高、ピアニストの役こないかな?←)
・「俺の言うことをきくなよ。おまえに悪影響を及ぼすんだからな!」
でも悪い例に倣って落ちぶれてほしい気持ちも所持していて。
1人で堕ちていくのは怖いから、共に堕ちてほしい…てきな。
「失敗作は俺だけじゃないと思いたいんだ。
ママの薬中が悪化すればいいとさえ思っている自分もいる。」
「やめろよジェイミー...」とオーバーサイズのシャツを萌え袖しながら終始泣きそうなマンネ。
おい、どいつもこいつもほんまええ加減にしたれ…マンネはただでさえメンヘラなのに加えて大病患ってこれから療養すんねんぞ??
ほんで、「ババアくたばったか」とか暴言はいた結果、マンネにボコられたあと「殴ってくれてありがとう」とか言って病みながらスヤァと寝落ち。からの、父親の一言で謎にスイッチ入って起床するジェイミーたん。
一周回っておもろいわ。コントのテンポ感。
メンヘラのしんどい酔っ払い方とみせかけておもしろおじさんでもあるジェイミーたんの二面性を推していこうと心に誓いました。
・「ママのことはお前よりも知ってるよ、おまえよりも早く生まれてきたからな!」的なマウントを取ってくるジェイミー。
…ええ歳してママの取り合いしてるけど、痛い通り越してむしろ、酔っ払ってこんな素直に“長男ドヤ”できてよかったね(泣)という気持ちに達した。
しかし、弟の前でどんなに虚勢を張っても、当のママには愛情を与えてもらえない。これが幼少期から今に至るまで続いた仕打ちなら、そりゃこんな屈折した人格に形成されちゃう…可哀想に…。
・モルヒネを打ちまくって気がふれてしまったメアリーママが、昔着たウエディングドレスを身に纏い登場。
そしてママがぽろぽろと弾くピアノの旋律が切なさを助長する。
シスターになろうとしていたが、夫ジェームズに恋をしてシスターになることを諦めた過去に遡って妄言を吐き続ける。
(余談ですが、上部の布の演出が、ここでは、紅白における小林幸子の衣装の感じで、巨大ウエディングドレスと化していたのが印象的でした。そしてそのドレスを当時の彼女に話しかけるテイで優しく回収するジェームズの表情も切なくて沁みた。)
・そんなママのことを、酔っ払いジェイミーたんが「オフィーリアのお出ましだ!」とか言うんですけど、エドマンドマンネにまたオコられるんですよね。
オフィーリアといえば、「ハムレット」で、気が狂った(フリをした)恋人に父親を殺されて、自身も本当に気がふれて最後には亡くなってしまう女性。
(正直、ジェイミーの例えうまいなとおもって、わたしが歌舞伎の大向こうさんなら、\タイローン屋〜!/をキメこんでました)
でも、実際に、虚言を続ける、これまでと比にならないレベルで気が触れてしまったママを目の前にすると、さっきまで、くたばれだのdisってたのに、泣きながらママを見やる目がめちゃくちゃ優しい息子の目だったんですよね。
どんだけ傷つけられても、ママには愛されたいし愛したい対象なんですよね。
とりあえず、娼館で1トンを抱いた後に、泥酔してマンネにボコられて泣きながら眠りについて、数分後に急激に酔いさめて正気に戻るジェイミーまじ推すよ???
虚言を続け放浪するママの背中を追いながら
「ママァァァァァァァァ。゚(゚´Д`゚)゚。」
と泣き叫ぶジェイミーの悲哀な表情。
1番振り向いてほしい人が自分に見向きもしてくれない、自分を認めてくれない。
ましてや人格まで失ってしまったママに自分の思いが通じることはほぼ確実になくなった。
最愛の人からの受動的な愛と
最愛の人への能動的な愛。
どちらかに偏っていても満たされない。
舞台では、母の人格が壊れ、残された家族が虚無感に覆われ幕を閉じるわけですが、
幕が降りた先、このご家族に、少しでも平穏で暖かい時間が訪れてくれることを願わずにはいられませんでした。