まず最初に
大倉くん、すてきな演出を考えてくれて、心からありがとう。
十五祭を通して、松竹座にも連れて行ってくれたし、いろんなアリーナツアー、ドームツアーにも連れて行ってくれた。
オープニング映像、照明、繋ぎVTR、セットリスト、衣装、会場外の着せ替えBOY
何もかも心がこもっていた。大倉くんの関ジャニ∞愛が詰め込まれていた。
去年の秋から、後輩のライブ演出を考えるお仕事を引き受けていたけれど、そこで学んだことを活かして、関ジャニ∞に還元してくれてありがとう。何事も無駄なことなんてない。すべての経験を肥やしとしてくれてありがとう。
大倉くんは、自分が演出したものに関して細かく言及することを好んではいない謙虚なところがありますよね。裏方のお仕事をしている時は裏方に徹したい。オレがオレが!と自ら存在誇示をしようとしないというか。
そんな奥ゆかしいところも大好きなのですが(突然の告白)、反面、全責任を背負いすぎていて心配になることがあります。
「責めるなら僕を責めてください」
1年間で2回もこのセリフを聞きました。
演出を担当する上で、これくらいの覚悟が必要なのかもしれないですが、私は大倉くんのモンペなので、あまり背負い込まないでほしいというのも本音です。心ない言葉の受け皿をかって出ることで、大倉くんのこころが疲れてしまわないか、ちゃんと眠れているだろうか、などと、懸念せざるを得ません。
何事にも賛否は隣り合わせかもしれないけれど、大倉くんが込めてくれた誠意は絶対に大多数に届いてるはず。億が一、負の意見が存在したとしても、それを圧倒的に上回る味方の軍がついていることは声を大にして伝えたい。
絵巻を使ってこれまでの自分たちの歴史をまとめる。8人全員出てくる。松竹座のエントランスからスタート。
2004年デビュー。みんなあの のぼりを引っさげてる。
そして、亮ちゃんと博貴が寄り添ってる。
2005年、盟友と袂を別つ。イカダに乗って博貴が流されていっちゃう。
2006年、関風ファイティング革命。一位獲得。
2010年、楽器解禁令。楽器を使ったシングルが発売される。
2018年、すばるの背中。少しだけ後ろを振り向いて進んでいくすばる。赤い背中のバックショット。
2019年、1000人の援軍から10000000人の援軍に増え、勢力を増す関ジャニ∞。
(…バスドラを背中に背負う大倉くん、重そうかつシュールで愛しくてちょっと笑ったw)
赤いギターとスタンドマイク、2つのアイテムを背負う亮ちゃん。
6人が前を見据えて歩き、少しずつ真ん中に寄ってくる。力が束ねられていく演出。
そして、松竹座の緞帳がスクリーンいっぱいに映り、開演ブザーと共に幕が上がる。
…いや、泣く。これは関ジャニ∞を愛する者誰しも泣く。
みんなでアイデア出し合ったとはいえ、この映像も仕切ったの大倉くんですよね?
亮ちゃんにスタンドマイク託したのも、亮ちゃんと博貴を寄り添わせたのも、
数ある事件の中でも、妖怪ケツ洗い先生置いておいても、バナナジュースの乱と角煮事件を取り上げたのも、
大倉くん主体となってだよね??
亮ちゃんへの愛しか感じなかった。
LIFEでは、後ろのスクリーンにこれまでのLIFEや想い出映像を投影して
歌い手は勿論6人なのだけど、すばるくんのパートは歌詞テロップが赤い文字。
全員赤色のアイテムを持ってる。
スクリーンをみながら、これまでの楽しい想い出と共に感傷に浸りつつ
すばるくんを居なかったことにしない、そこにいるかのような演出に目頭が熱くなり
歌詞通り、目の前の向こうへと力強く前を見据えている6人のパフォーマンスに鳥肌が立ち
全て相まって涙が止まりませんでした。
LIFEだけに限りませんが、みんながそれぞれ、すばるくんのパートを引き継いで歌っていて。
亮ちゃん、ヤス、まるちゃんが比率高めですがキーが低いパートはできる限り大倉くんが歌っていたり、綺麗にヨコヒナで二分して歌っていたり。
そんな中、ヤスの歌い方があまりにもすばるくんで。これは去年から感じていたけれど、尚更に。本来の自分のパートを歌う時とすばるくんのパートを歌う時の歌い分けに新鮮に鳥肌が立つ。
全体を通して
そこにすばるくんはいないのだけど、すばるくんが居る気がしてしまう。
すばるくんの声がする(ヤスだけど)。
赤いテロップも赤い照明もたくさん意図的に出てくる。
去年のツアーに参加して、寂しい気持ちや悲しい気持ちを抑えつけてでも、どれだけ7人が恋しくても、これまで以上にこの人たちをとにかく応援しなければ!という使命感が湧き上がりました。
反面、気持ちを消化しきれないまま蓋をして、自分を鼓舞している部分もありました。
その反動と言ってはおかしいかもしれませんが、ふとした瞬間にやはり虚無感が溢れ出し、過去を振り返っては辛くなる時もありました。
想い出が楽しければ楽しいほどに、過去への憧憬が強くなる。
それゆえに、関ジャニ∞の過去作品や過去番組などを定期的に鑑賞しては癒しを摂取するという生活行程を、去年はあまりすることができませんでした。
これから6人で描いていく未来と、これまで残してきた軌跡に、線引きをしなければならないのだとすると、線引きの作業が億劫になってしまう。蓋をしてもしても、前を向きたい気持ちと反比例に憧憬も込み上げる。
けれど、今回の十五祭を経て、心が少し軽くなった。
懐かしい曲に、懐かしい演出。そして今ここにはいないメンバーの存在をも思わせる構成。
サポーターである我々も、無理に線引きをすることなく懐かしんで良いんだ、恋しくなって良いんだ、って許された気持ちになったのと同時に、
わたし以上に、わたし達以上に、6人が懐かしんでるし恋しそうだし、過去もぜんぶぜんぶ抱きしめて前に進んでいきたい意向が顕著に露呈されたと思えて。
公的に名前出すし、赤色もピンク色も使うし、「8」も推しているし。
その旨を心で留めずに、ファンの前で、声や態度で伝えてくれることが、すごく救いに感じた。
15周年という節目の記念すべき年だからこそ、エイトもエイターもみんなでまとめて、これまでの想い出を懐古できる空間を共有させてくれて本当にありがとう。
そんな風に思っていた矢先に、十五祭をもって亮ちゃんが卒業。
すばるくんの件から1年かけてようやく心のリハビリが少しずつでも進んできて、15年間の思い出を宝箱みたいに詰め込んでくれた今回のツアーを受けて、これからも過去ごと抱きしめながら6人の関ジャニ∞を応援していきたいと強く思っていたところに、あまりにも辛すぎる現実が畳み掛けてきた。
亮ちゃんが去年言っていた
自分たちのパート分けをパーセンテージで表すならば、7で割って14.3%、6で割って16.7%
2.4%増えるだけなら俺頑張れる!と
数値だけでみると、その差分は数パーセントだけれど、その数パーセントの中に、私たちにはみえない大きな壁みたいなものが存在していて、葛藤し続けてくれた去年のツアーだったのかもしれない。
ずっとずっと隣で、憧れて、背中を追っては対等に横に並ぼうとしてた大好きな人が、自分の夢を追って旅立った。
空いた穴の大きさは私たちが思っているよりも大きくて、彼の分も背負って真ん中に立つ重圧は計り知れない。
これは亮ちゃんだけに限らずみんなぶつかった壁だと思いますが。
「永遠なんてないけれど、せめてあと少し、もう少しだけ一緒にいたい」
と、過去に、刹那を謳いながらも永遠に憧憬を抱いていた亮ちゃん。
去年の7月に、「どっかであったらいいなと思ったけど、"永遠"なんてない。もうわかった」と言っていた時の、亮ちゃんの抱えていた寂しさは計り知れない。
8人では叶わなかったけれど、せめて、7人の関ジャニ∞につよく永遠を描いていたように思う。
けれど、
「これからは僕が関ジャニ∞を引っ張る」
「僕らはみんなより一歩先を進んでいるから」
言葉通り、本当に牽引してくれていたし、態度も表情も嘘偽りなかった。
今まで通り、今まで以上に、全力で誠意を尽くしてくれていた。
ただ昔から、自分を鼓舞すべくあまのじゃくな事を言ったりして、痛々しく頑張りすぎる節がある気がしていて。
本当は傷ついてても、自分の中で何かが終わったのかもしれないと漠然と寂しい気持ちがあっても、それを搔き消すような裏腹な物言いをしてみたり。
人の気持ちは移りゆくものだけど、彼のがんばった軌跡に虚偽はなかったように思う。
事務所に居続けて、あらゆる面で犠牲を払いながら【アイドル】をしてくれている。
それに規制されて生きるストレスはわたしたち一般人には想像もつかない。
そんな中、精神的支柱があったから進んで来れたのかもしれない。
自分の中の"絶対"が終わってしまった時に、一から今後の人生を見つめ直すのは当たり前のことで。
その結果、目指す方向が違った。
これが現実とはわかっていても、いちファンであるわたしの率直な意見としては、エゴでしかないけれど今はシンプルに寂しいです。
以前、大倉くんがラジオで言ってた。
最初は8人でやっていたし、ずっと7人でやってきた。今は6人になったけど、全員でステージに立っていた。今も立っているように思う。と
この言葉に乗せられた意思を、彼らのステージから感じとることができた。それはとても痛々しいほどに。
この大倉くんの発言には、【今後5人になっても】、8人で、全員で、ステージに立っているように思うだろうという未来形の話も実は含まれていたのかと思うと、あまりにも切ない。
ラジオで話していたこの話が、今回のツアーのメインテーマなのかなと思いました。
ここにはいないメンバーも、そしてこれから旅立つメンバーもひっくるめて、過去も未来も抱きしめての「関ジャニ∞」
これまでも、これからも。ずっと。
全体を通してのこのメッセージ性をつよく感じた。
まもりたい のアンサーソング、♪最後の涙 で
「情けないなんて言わず頼ってほしい。弱いときたまにでいい支えたいの強く」という歌詞がありましたが、非力なのは承知だけど、今まさにそんな気持ちです。
ファンの一歩先を進まなきゃ
と気負わなくていい。無理しなくていい。
泣きたい時には泣いてほしい。疲れたら足を止めて心身ともに休んでほしい。
最低で最弱なときがあってもいい。
そんなところも含めて最高で最強にだいすき。
一緒に立ち止まるし、一緒に進みたい。
これからも、未来永劫、関ジャニ∞がだいすき。
いま「ジャニーズ事務所の関ジャニ∞」の枠組みにいない人も含めて「関ジャニ∞」
場所は違っても、旅立っても、ずっとずっと「関ジャニ∞」
例えるなら、私の中では、【関ジャニ∞さん】という姓を持つ家族のような、そんな認識なんです。
ご家庭ごと好きっていうか。長女と次女は嫁に出ても、関ジャニ∞さん一家の一員なので、
いま一緒に暮らしてなくても、実家にいる人いない人含め、関ジャニ∞さん一家ごと大好きなんです。
ずっとずっと、【関ジャニ∞さん一家】のファンなんです。
そして、どこかで繋がっていていつかまたみんなで集まるところをみたい。
せめて、お互いの口から、お互いの名前をきけたら嬉しいなと願ってしまいます。
詭弁のように聞こえるかもしれませんが、
表現の方向性が別れようとも、切っても切り離せない、概念の根底にはこれまで培ってきたものがあり続けると、私はおもっています。
寂しくない!と断言するには至れていませんが、これから先のみんなの活躍は、大いに楽しみなことに変わりありません。
5人vs1人vs1人の、大戦国時代の、戦いの火蓋が切って落とされたかのような、10月以降のみなさんのスケジュールの組み込まれ方!!!
あのエモい絵巻に、歴史はこれからも刻み続けられる。うん、やっぱりたまらなく楽しみです。
お互いが、お互いの今後に遅れを取らないように、
あの想い出宝箱ツアーである十五祭と並行して準備をしていたとはつゆ知らずでしたが、
彼らの爆走に振り落とされないようしがみついていきたいです。
頑張りすぎて疲弊しないのか、心の底から心配なのですが、わたしはこれからも、微力ながらも全力で応援し続けたいです。
いま、
\溢れる想いは無限大!/
を全力でお届けしたい気持ちでいっぱいです。