これは何かひとつの箱に絞った話ではなくて。
ここ1年くらいで総じてわたしが思うことについて綴っていきます。
既存の箱のほうが現存の箱より大切
そんな風に考える人は非尽力的だからそのアイドルを応援するなという風潮は酷。なぜならば、個としてはあいもかわらずだいすきで大切だから。
とはいえ、
SNS等で特定の固有名詞を主語として、対象を傷つける単語を吐き、不特定多数に晒すなどのネットリテラシーに反する行為で足を引っ張り、負の要素を与えるのは如何なものかと思う。
それを自分が応援してる人への正義だと捉えるのも違う。
誰かを傷つける発言を自重できない事が結果として応援してる人への足枷となるのではないか。
言論の自由を謳ったとしても、人を傷つけていい正当理由にはならない。
民度低いことはしたくない。するつもりもない。そのエネルギーはもっと他、プラスな面で活用したい。
私の大好きな人()が言っていた。
負の言葉の持つパワーは本当に大きい
と。
発言者の分母に対して、
負の発信のほうが少なく、比率は低いはずなのに、そのパワーの大きさから比率の低さを感じられないこともある。
愛のある言葉の分子のほうが圧倒的に大きいのに、それがわからなくなるほどに負のパワーは心にしこりを残す。
生きている上で、プラスな気持ちとマイナスな気持ちは隣り合わせで。そんな中、プラスだけを抱きながら過ごすべきだとは思ってない。
プラスな気持ち以外抱くべきではないと思想を押し付けられても応えられないことだってある。
ただそのマイナスな気持ちを正当化して、正義の面をして、たくさんの棘のある言葉を駆使して不特定多数に発信して、誰かを何かを傷付けていいことには繋がらない。
その手段で存在誇示しなくても、身の回りの理解者に向けて発信するだけでいい。
不特定多数に発信する以外にも、膿を出したい時に使うツールとして他に存在するはず。
どうしたって譲れないものは誰にでもある。何かが悪い誰かが悪いという話ではなくて。天秤にかけた時に譲れないものの比重が傾くだけのことで。
個として大切だからこそ、既存の箱を愛してしまう現象は抑えきれないから。
"すき" は、自由だから。
感情を抱く事はゆるされてほしい。
気持ちは前を向こうとしているしもちろん応援する気は充分にあっても、自分の中でこれまで積み上げてきた、箱への"すき"の爪痕がとても深く刻まれてる人だっているから。
順応にかかる所要時間は人それぞれだから。昨日の今日で足並みを揃えられない人だって存在するから。
自分の中の、箱に対する"すき"のピラミッドがあるのだとして(ここでは"きらい"の感情はないと仮定)
上層・中層・下層と気持ちの区分けがされているとする。
上層の頂点に値する対象への"すき"は不変的で。
でもあくまで"すき"のピラミッドなので、この中において"すき"の感情は共通。
ピラミッドの中で、いろんな"すき"の度合いや気持ちが存在してもいいんじゃないかなって。
"すき"ピラミッドの最上層に達しないと応援してはならない!なんてこと、ないとおもう。
自分の中の"すき"のランクが少しずつでも、上がっていく過程を楽しんでもいいとおもう。
前半たらたらと述べた、上記のような非倫理的行為で足枷にさえならなければ、
直接声を届けるスタイルで物理的な応援、売上貢献という名の金銭的支援、視聴率貢献など、自分に可能な限りの応援を続けていけたらいいなと考えます。
ーーーーーーキリトリーーーーーー
と、ここからは完全にわたしの
箱すきピラミッド
不変最上層のお話となりますw
みんなが、それぞれ芸能界で成功していく姿を応援したい。たとえそれが同じ箱でないのだとしても、いつか箱の垣根を越えてまた仕事で共演して隣に並ぶ姿がみたい。
私の中では、例えるならば、
高校2年生の時にすっごく絆が深くて
合唱祭でも体育祭でもなんでも入賞しちゃうし、何よりみんな仲が良かった最高のクラスだった。
3年生になって進路ごとにクラス分けされてしまって離れ離れになってしまったけれど、クラスが変わっても、大切だった高校2年生のクラスの子たちは3年になっても大学行っても大人になってもつるむし、培った絆は消えないしずっとずっと関係性は続いていく。
そんな感覚です(どんな感覚)
自分を2年生の担任の立ち位置と仮定するならば(←)、
先生はこれからもあなたたち個人個人を応援しています。クラスが替わっても遠い大学に行っても、みんなで培った絆を肥やしとしてすくすくと大きくなっていってください。
ひとりひとりが輝き続けられるよう、ずっと応援しています。
2ーAは、先生の中でずっとずっと宝物です(誰)
最後、なぞの たとえ話をしてしまいましたけど、至って真剣かつ正気です←
すき は、自由
すき は、想い出
すき は、たからもの
(※注釈:さっきから散々濫用していますが、あくまで、いちファンとしての"すき"の意味合いでしかないので、危険な気持ちは抱いておりません。ご安心くださいwww)